美術制裁

仮想通貨より現代アート!?

「おしりはネコ愛性人格障害者である。」

今週のお題「ねこ」

とあるサイトに再掲されていた某政治学者のコラムを読んで以降、いわゆる○○文化論やその近縁領域の書物などにおける「自己」という言葉を別の言葉に置き換えて読んでみるようになった。

この「自己」という言葉はそれ自体が「大文字の他者」とか「サントーム」とか「無意識」とか「フェストゥム」とか「プレコックス」とか「シニフィアン」などの、心理学や心理学的精神病理学の書物でお目にかかる難解用語と等しく同様に謎めいた残響をもよおす言葉である。

「意識」といった言葉がそもそも仏教用語であったらしいことに鑑みると、「自己」という言葉も似たような由来なのかもしれない。

で、おしりは例えば、木村敏の「関係としての自己」や「自己・あいだ・時間」、内海健の「さまよえる自己」、渡辺哲夫の「わたしという危機」なぞに、こうした読み替えを適用し、不謹慎とは思いつつも、いささか難解なこれらの書物を読む際の息抜きとしておった。

そもそもはヒステリーの観点から「芸術」を「結婚」と読み替えたりしていたのだが、結婚には制度的なノモスの影がちらついていて、それが一層対照的でおしりながら興味深い読書体験をしたことがある。

我思う、故に我在り、ほととぎす

デカルトのコギトを単純な学者宣言ととらえる限りでは、

おしりは思う、故におしりは存在するといったテーゼには至らないのである。

自己省察とはネコ省察であり、ネコ省察とはネコのおしりの愛しさと切なさと・・・。

えーい口をネコの肛門にしてやる。*1

えーと最近知ったのだが、自閉症の子供は方言を話さないらしい。

これも自己閉塞症と略字を展開してみるとネコ閉塞症になる。*2*3*4

「入門!論理学」を紐解いてみるとこんなことが書いてあった。

私たちの公理系がどうかというと、これはもうやりだすととても長くなるので詳しい議論は省きますが、健全で完全な公理系だということが示されています。つまり、標準的な命題論理が妥当と認める論理法則のすべてを、そしてそれだけを、過不足なく証明できる、そういう公理系になっている。その意味で、私たちの公理系は「うまくいっている」と言えるのです。p180野矢茂樹

標準的な命題論理に対する「自然演繹」のタイプの公理系は、完全であることが示されています。p192

数学の公理系はどうしたって不完全でしかありえない。p190

 

 もしコギトがこの引用文でいうところの標準的な命題論理に相当し、いやそれどころかぴったりと重複するならば・・・。

いやそれどころか”コギト=標準的な命題論理”と人格が完全に一致するならば・・・。

その人格は健全で完全な公理系、すなわちネコ閉塞するのだろうか?

 

自己・あいだ・時間

ネコ・おしり・じぱんぐ

 

ネコブックマーク

ネコスター完了

絶対矛盾的ネコ同一  ネコ組織化原理 ネコ意識 ネコ増殖 ネコ判断 ネコ宣伝 ネコ暗示 ネコ顕示欲 ネコ批判 ネコ中心主義 ネコ主張 ネコ保存 ネコ実現 ネコ嫌悪 ネコ陶酔  味噌ネコみうどん

吾輩は自己である。

 

 

 

*1:この文の脱線に精神分析マニアは口唇期や肛門記的な外傷を読み取ったりするのだろうか?

*2:ここに脚注を書きます

*3:精霊鬼神を略して精神!

*4:精霊と鬼神への分裂、おしりはそもそも分裂