美術制裁

仮想通貨より現代アート!?

「甘えの構造」

もうずいぶんと以前に読んだことがある。

多分、高校生だか専門学校生だったころに通学中の電車の中で読んだ。

なので内容は当時もあまりよく理解していなかったし、今となってはうろ覚えだ。

確か「甘え」をキーワードにした欧米との文化の比較に関すること…。

「甘え」という言葉が日本語には存在するけれども、欧米にはそれに直接該当する語彙や慣用句などが見当たらない。

いうなれば「甘え」といった感情の意識化が困難であること。

そのことが欧米社会におけるヒステリーの発症や発見に関係するのではないか。

と、いったような内容だったようななかったような。

そんな気がする。

ここで精神分析から話が変わるが*1この「甘え」という言葉をめぐる問題構造と同様の問題構造を持つ言葉として「芸術」があげられると思う。

佐々木健一という美学者の「美学辞典」によると「芸術」という言葉は後漢書にも出てくる古い時代の言葉を「リベラルアーツ」の訳語としてあてはめたものらしい。

これ自体は時代錯誤的な用語の使用例であるとも思われるが、なかなか意味深ですらある。

同様にファインアートの訳語として、美術が造語されたらしい。

(江戸時代の人に美術と言っても、「ええっ、何それ、メイクアップアートのこと?」と聞き返されるに違いない。)

ここに甘えという言葉の構造と同様な構造、訳語におけるそれぞれの概念の内包のズレ、または概念の内包の欠如を観察することが可能なように思われる。

「芸術」という言葉に期待され、「アート」という言葉から抜け落ちてしまうものとは何であろうか?

 

「絵」という文字を辞書や漢和辞典で調べてみると、大体、平面に刻まれた線や色による図柄だとか、刺繍の図柄のことだとか、或いは五色の糸による刺繍から転じて彩色された図像というような説明が書かれていたりする。

私は思うのだが「絵」が「刺繍」に関連するのは良いとして、上記説明では言葉が足りないように感じられてならない。

一枚の布の表と裏に通う糸、彼岸と此岸、男と女、天と地などを貫く糸。

そんな糸が集まって図像が構成されること。

いわば刺繍はメタファーであって、その意味を写したものが「絵」なのだと思う。

さらにその意味の営まれる場を画と考えることもできるのではないか。

 

同様に「骨董」という言葉を辞書で引いてみると、カタコト、カタコト音のするガラクタなどという説明がなされていたりするのを読んだ記憶がある。

この言葉も古い書物などに出てくるらしいのだが、素朴に考えて昔の人の残した器物を骨に見立てて集める。なのではないのかと思ってしまうのだが。

まあ、昔の中国の人がどう考えていたのかは、時代を異にする異文化圏の私の感性では直観できないのかもしれず、それこそ「甘えの構造」と同様の構造になってしまう。

 

リーーーーーーーーーーーーーーーーーーチッ!

 

死んだ父親が若い頃にフェリーニの「道」を観て大いに感動したと言っていたのを思い出して、私もレンタルして見たことがある。

La  Stradaという原題らしく、英語ではStreet(ラテン語ではstrataが語源で舗装の意味らしい)になるらしいが、邦訳では「道」になる。というのが面白い。

 

流局。

 

 

 

*1:注:「甘えの構造」は確か精神分析の人が書いていた